【公募川柳応募虎の巻/公募川柳入選のコツ】第3回 川柳の作り方の復習 見入れから趣向、さらに目立つためのヒント【尾藤川柳さん】




川柳をつくる

「川柳」は、575のリズム(定型)にのせて、直接ニンゲンをよめば、一編の作品になります。

どんな切り口でもよいのですが、ただ目の前に起きた、または起きている事を十七音で報告しても面白みがありません。

まずは、基本的な作句のプロセスを知っておきましょう。

1.「見入れ」ということ

まず、題材を捜すことを「見入れ」と言います。

何を素材(テーマ)とするか作者自身の《目》で見つけます。

とはいえ、ちょっと目にしただけの事象をそのまま川柳にしては、表面的な浅いものの見方となってしまい句も浅薄になります。

また、テレビのニュースや週刊誌など誰かがすでに或る見方を示した話題を句にしても仕方ありません。それでは、誰もが同じ発想になってしまいます。

「目撃」という言葉がありますが、これは「目デ撃ツ」事によりその事象から隠れた真実を見出すことで、何事にも心を置いて見ることにより、はじめて真の姿が見えてきます。兼好法師は、

「心そこにあらざれば見れども見えず」

といったそうですが、まさに「見入れ」は、作者の心を置いて見ることにより、他者が気付かないようなものが見えてくるでしょう。

公募川柳では、テーマが与えられることが多いですが、多くの場合、似たような「同想」の句が集まってきます。中には、一字一句まったく同じという「同一句」も見られます。

「同一句」は、両成敗で最初から入選候補には上がりません。

「同想句」の場合も同様です。万が一、その中で同じ発想でも言い回しや構成の上手い作品が候補になることはありますが、大半は、ボツということになるでしょう。

できるだけ、オリジナリティのある物の見方が入選には必要です。

 

真実をとらえる―あたり前のことですが、これがいちばん重要で、これを可能にするのが、作者の目のはたらきだということです。

見入れには「新鮮な題材」を

お料理において、どんな見事な包丁さばきをもってしても、材料そのものが古かったら、新鮮で美味しい料理はできないでしょう。

川柳も一緒です。

テーマによっては、100年前も江戸時代も似たニンゲンの特性や生活、人情などを繰り返してしまう句が出来てしまいます。古人は、

「常のことを珍しくする」

とも言っています。日常の中に、フト気づかなかった事象を見出したりするのは、手柄になります。

また、「時事」は、常に新しい題材を提供してくれます。テーマの中に世情の移りを捉えると新しい題材にもなるでしょう。

そんな時、「流行語」や「新語」が手掛かりのもなります。

ただし、公募川柳の猛者たちは、この「流行語」や「新語」を駆使して作品を送ってきます。それに負けないような「捉え方」「切り口」もまた大切になってきます。

2.「趣向」 モノを捉える角度が大切

テーマや題材が見つかったら、次はそれをどのように処理して一句を作るかという工程、すなわち「趣向」です。

趣向は、作者自身の対象へ向かう角度(スタンス)とも言えますし、同じテーマでもどの部分を切り取るかという「フレームワーク」(切り取る範囲の決定)のセンスということが出来るでしょう。

これは、日本橋を描いた安藤広重の浮世絵版画です。これをテーマに句を作ってみましょう。

何が見えますか・・・。

まず、雪に震えながら橋を渡る人々が見えますね。武士も町人もいるようです。降っても振っても日本橋の賑やかな人通りは、雪が積もることを許さず、踏み汚された雪が見えています。遠くには、雪を被った富士山が見え、またその手前には雪に埋もれた町家も見えてきます。さらに目を凝らすと、橋の下の川には、やはり寒さに耐えながら仕事に勤しむ船頭も見られます。

こういった風景から、あなたならどんな川柳を作りますか。

一つの風景からもたくさんの切り口が見えてきますね。

江戸の川柳家は、こんな句を作りました。

降る雪の白きを見せぬ日本橋

日本橋は、江戸の中心で魚河岸があり、五街道の起点でもあります。そんな賑わいの場所ですから、ちょっとぐらい雪が降っても「白くならない(雪が積もらない)」という句ですが、ここには「賑やか」と言わないのに、その賑やかさや人々の往来が感じられますね。

この言外の表現が大切なのです。

 

言いたいことをすべて十七音に盛り込んでしまうと、それはただの報告になってしまいます。

ここでは「ポイントを絞る」ということが重要です。

最も典型的、特徴的な一部を描くことで、全体を想像させる…そんなことができれば、十七音以上に伝わる内容が句に与えられます。

 

さて「川柳の目」は、切り取る角度にあり、これが短詩型の特性である「凝縮」を導きだします。角度が的確であれば、凝縮すればするほど、句の広がりは大きくなり、内容は豊かになります。

3.句づくり

作句の最後は「句づくり」です。

同じ内容(題材、趣向)でも、文体、レトリック(修辞)によって、まったく違った印象の句になりますし、また作者のコトバの特長(標準語や方言、外来語の多用等)によっても変わった印象になります。

たとえば、先ほどの日本橋の句でも

魚河岸の賑わい雪を積もらせず

では、状況を報告しただけになってしまいますね。この「報告」から脱する方法のひとつが「描写体」です。

「説明」より「描写」を

句づくりは、内容の「言語化」でもあります。

同じ内容(題材、趣向)でも、文体、レトリック(修辞)によって、まったく違った印象の句にすることができます。

句体としては、まず「説明体」にならないことが肝要です。また、「報告体」「理屈体」にならないことです。つまり、これらを含めての観念的な物言いはなるべく避けるという心構えが必要で、そのためにはできるだけ「描写体」を取り、説明するより風景化する、つまり視覚的に描くように努力しなければなりません。

わかりやすい一例を挙げてみましょう。

宝くじは買っても買っても当たりませんね。もちろん、どこかの誰かに当たりが出ているのでしょうが、ほとんどの者にとっては「宝クジは当たらない」というのが現実です。

また今年当たらず終わる宝くじ

は、共感の事実をよんだ一句ですが、なんだか当たり前のことを575で言っただけに聞こえてきませんか。

同じことを言うのでも、

宝クジ夢の中ではよく当たり

は、いかがでしょう。夢に託してひとひねりしているので、最初の句よりはいいでしょう。現実を描かず「夢の中」を描いたところがミソです。

とはいえ、結局は「夢の中でしか当たらないものだ」という理屈を説明的に述べただけの理屈(観念)の産物ともいえそうです。

しかし、これを「夢の中で当てた」という描写体にすれば、現実には当たらないというはかなさをより強調して伝えることができます。

起こされるまで当たってた宝クジ

これが、「観念体」と「描写体」の違いです。こんな言い方も出来そうです。

前後賞付きで当たった夢で覚め

これが、「観念」の産物としての「報告体」「説明体」と「描写体」との違いです。

「描写体」とは、説明するより風景化して視覚的に描くことです。

自分の言葉で

個性的な句を作るには、他人の言い回しを真似しても仕方ありません。

そこで大切なのが「自分の言葉」で書くことです。既成の用語で安直に間に合わせたのでは、類型的な句にしかなりません。

類型的な句は・・・入選しません。

句の言葉は既製服ではなく、時間がかかっても、内容にフィットする自分だけのサイズを選ばなくては、作者自身の作品とは呼べませんし、新鮮さも期待できないでしょう。

ことに、身近な流行語などは、一般の言葉より古びるのも速いということに留意してください。一昨年のラグビーブームで「ワンチーム」が流行語になりましたが、今年の公募川柳でもまだこの語が使われているのを目にします。もう「ワンチーム」にはカビが生えてしまっています。使う場合には、作者の立ち位置も句に込める事でしか生かす方法はありません。

また、既成概念へのとらわれも禁物です。自分の目で直接確かめもしないで、「空は青い」という類で、これが観念の弱さということです。 本当に青いか、そうでないかは、自分でじかにとらえるべきで、「句はあたまで書かず、目で書く」といわれるゆえんも、ここにあります。

さらに、たとえ青かったとしても、すぐ「青い空」と限定してしまうより、その青さをも含めて、読者の連想を呼び起こすためには「空」とだけいえばよいのです。

前にも記した句のひろがりを求めるには、いたずらに修飾語を用いないことも大切で、「形容詞は名詞の敵」(C・リーガー)という言葉もあります。

川柳は、歴史的に口語発想の文芸として発展してきましたが、時には文語を用いる必要も生じてくるでしょう。前後の音数関係という純粋に形式上の理由もあるでしょうし、また文語には、口語ではのぞめない余意・余情を引き出すことや、力強さを感じさせる利点もあります。

 

公募川柳でも、句を作る際の発想・手順はいっしょです。

あるコトバ(流行語など)から句を作り上げることもできるかもしれませんが、しっかりと手順を踏んで作った句には、コトバの力があります。

だまされたと思って、いちど「見入れ」-「趣向」-「句づくり」を意識して作ってみてください。

 

 

<参考> RyuTube(YouTubeの川柳番組)

 

公募川柳応募虎の巻/公募川柳入選のコツ

 

尾藤川柳さんプロフィール

尾藤川柳

十六代川柳。川柳公論社主宰。女子美術大学特別招聘教授。

1960年、東京生まれ。
15歳より「川柳公論」にて川柳入門、尾藤三柳に師事。24歳で十五代・脇屋川柳に師事。川柳公論編集委員ののち「川柳さくらぎ」主宰、2016年、師三柳の逝去により川柳公論社代表となり「川柳はいふう」を主宰。2017年、十五世川柳逝去によりその允可によって「櫻木庵川柳」として立机、十六代目川柳を嗣号。
「社会の中の生きた川柳」というテーマで広く活動。
川柳普及の教室、著述、公募川柳選者を務め、川柳の行事企画者として2007年の「川柳250年」行事や、2009年の「川柳とマンガ—そのエスプリ—展」(群馬県立土屋文明記念文学館)2015年「柳多留250年」、2017年には「初代川柳生誕300年祭」、2019年には「北斎没後170年—北斎と川柳」行事など川柳の歴史文化発信の行事運営にあたる。
また、「川柳学」の推進により川柳文化の向上を目指すとともに川柳史料の散逸を防ぐため<朱雀洞文庫>(Web川柳博物館として公開)を整備して、史料の収集・保存・修復・研究・公開を行うなど川柳普及活動を行う。
著書に『川柳総合大事典』<用語編>および<人物編>(編著・2007)、『目で識る川柳250年』(2007)、『川柳のたのしみ』(2011)、『短冊の書き方と鑑賞』(2018)ほか入門的テキストや句集など多数。

ホームページ:

<ドクター川柳> http://www.doctor-senryu.com/
フェイスブック<尾藤川柳> https://www.facebook.com/senryu.bitoh
YouTube<川柳博物館> https://www.youtube.com/user/Issen575
YouTube<RyuTube>川柳入門 https://www.youtube.com/channel/UCVAXdQUgVSzrErmZy1O4vXg